100年前の日本に、「心の使い方」を科学のように説いた人がいた。
その教えは、今もこの人たちを動かしている。
ひとことで言うと、「日本で初めて、心が人生をつくると説いた人」。1876年生まれ。でもこの人、ただの思想家じゃない。経歴がとにかく規格外なんです。
日露戦争で満州に潜入した軍事探偵。敵に捕まり、処刑寸前まで追い込まれた経験を持つ。
当時は不治の病だった重い結核を患い、答えを求めて世界を放浪。最後にたどり着いたのはヒマラヤの麓だった。
帰国後、実業家として大成功。なのに43歳ですべてを手放し、公園の路上で人々に語り始めた。
教えの中身に入る前に、この物語だけは知っておいてほしい。天風さんの言葉に重みがあるのは、全部が実体験から出ているからです。
少年時代から喧嘩に明け暮れ、周囲が扱いに困るほどの荒くれ者。親は思想家・頭山満のもとに彼を預ける。
日露戦争の時代、スパイとして満州に潜入。死線を何度もくぐり抜け、「人斬り天風」と恐れられるほど豪胆だった。
戦場では動じなかった心が、病の前では崩れた。死の恐怖に襲われ、夜も眠れない。「あんなに強かった自分が、なぜ」。
心の救いを求め、アメリカへ密航。さらにイギリス、フランス、ドイツと哲学者や医学者を訪ね歩く。しかし、どこにも答えはなかった。
「せめて故郷で死のう」と帰国の途につく。その旅の途中、ヨガの聖者カリアッパ師と出会い、誘われるままヒマラヤの麓の村へ。ここから約3年の修行が始まる。
師のこの問いが、天風さんの人生を根底からひっくり返しました。病があっても、いま生きている。その事実に目を向けた瞬間、心が病から離れ、体は回復に向かっていった。
山を下りた天風さんは帰国して実業家として成功しますが、43歳のとき、ふと気づきます。「自分が救われた方法を、悩んでいる人に伝えなければ」。全事業を人に譲り、たった一人、上野公園の路上に立ちました。やがてその辻説法に、政財界の大物たちが次々と弟子入りしていくことになります。
天風さんが遺した教えは「心身統一法」と呼ばれます。このサイトでは、その教えを4つのページに分けました。順番に読んでもいいし、気になる部屋から入っても大丈夫。
天風さんの教えは「いい話」で終わらず、実際に結果を出す人たちの土台になってきました。
天風さんの物語はここまで。次のページでは、彼がヒマラヤから持ち帰り、生涯かけて体系化した「心身統一法」の全体像を1枚の地図にしました。